コラム of LMMHS

「脂質の新たな機能を追う」

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 脂質の機能とは何か。第一に、脂質はタンパク質、糖質と並ぶ3大栄養素のひとつであり、効率の良いエネルギー源である。第二に、脂質は細胞膜の主要構成成分である。そして第三の機能が本特集で取り上げるシグナル分子としての役割である。脂質シグナル分子は大きくステロイドホルモンに代表されるコレステロール由来の内分泌性因子、局所で一過的に産生され生理活性を発揮するオータコイド性因子、細胞内でシグナル伝達に関わるセカンドメッセンジャーに分類されるが、脂質メデイエーターというと普通は二番目の群を指す。それぞれの脂質メデイエーターは固有の生合成経路を経て産生され、特異的な受容体を介して標的細胞に特有の応答を引き起こす。脂質はタンパク質とは異なりゲノム(生命の設計図)にコードされていないため、遺伝学的情報を直接得ることはできない。しかしながら、特定の脂質分子の生体内での機能や病態との関連は、その代謝生合成に関わる酵素あるいは受容体の生化学的性質や発現、さらにはノックアウトマウスの表現型から理論的に推定することが可能である。古くは薬理学的見地から推測されてきた脂質メデイエーターの機能は、脂質生化学の研究領域への分子生物学の導入による生合成酵素や受容体のクローニングを経て、最新の細胞生物学的研究や遺伝子改変マウスを用いた個体レベルの研究により分子レベルで解明されようとしている。本プロジェクトでは脂質研究領域の最先端の研究を推進し、脂質ワールドの秘めた魅力に迫ることを目標に掲げている。

I. プロスタグランジンとロイコトリエン

 脂質メディエーターの草分け的存在がプロスタグランジン(PG)とロイコトリエン(LT)であることに異を唱える者は少ないと思う。PG/LTの生合成経路、いわゆる「アラキドン酸代謝」の発見に対して、1982年にノーベル生理学・医学賞が与えられている。国民に最も一般的に服用されている薬物ともいえる非ステロイド性解熱鎮痛抗炎症薬(NSAIDs)の薬効の大部分はPG産生の遮断、より厳密な言い方をすればPG生合成の律速酵素であるシクロオキシゲナーゼ(COX)の阻害に起因する。またLTの生合成や受容体を阻害する薬物は気管支喘息などのアレルギー疾患の治療に用いられている。
 アラキドン酸由来の脂質メディエーターすなわちエイコサノイドの生合成は、膜のグリセロリン脂質からホスホリパーゼA2(PLA2)の作用によりアラキドン酸が遊離されることにより始まる。PLA2には多数の分子種が存在するため、どのPLA2分子種がアラキドン酸代謝と連関するかについて活発に議論された時期があったが、現在ではアラキドン酸代謝に密接に関わる分子種はcPLA2alphaで国際的な認識はほぼ一致している。では、cPLA2alpha以外のPLA2は何を行っているのであろうか? 本プロジェクトでは、PLA2分子群の遺伝子改変マウスの解析が進めつつあり、それぞれの酵素が特有の生命応答とリンクしていることを示しつつある。
 アラキドン酸からのPG類(PGD2, PGE2, PGF2alpha, PGI2, TXA2)の生合成は、二種のCOXとその下流の系列特異的最終PG合成酵素群によって制御される。病態に伴って発現が誘導されるCOX-2の発見以降「COX-1=生理的、COX-2=病態」という通説が一世を風靡し、製薬企業はCOX-2選択的阻害薬(副作用が少ない「はず」の新世代NSAIDs)の開発に取り組んだ。しかしながら、その後のCOX欠損マウスの解析あるいは選択的阻害薬の試験成績から、COX-1/COX-2の役割分担は当初の予想ほど単純なものではなく、COX-2選択的阻害薬はPGI2生合成の遮断に起因する心血管系障害のリスクが増大することが確実となった。NSAIDsの薬効の多くがPGE2の生合成阻害に起因すると考えられることから、COX-2の下流で機能するPGE合成酵素(mPGES-1)が新しい創薬の標的として注目されている。mPGES-1欠損マウスでは心血管系障害は見られないようであるが、PGE2は消化管保護や生殖にも重要なので、mPGES-1阻害薬が副作用の少ない新しい抗炎症薬として立ち上がるかについては、今後の検討を待たねばならない。本プロジェクトではmPGES-1欠損マウスの解析を昭和大学との共同で進めており、近い将来に新しい創薬標的としてのmPGES-1の意義を解明できるものと思われる。
 PG類の多彩な生物活性は、京大成宮らの一派による各PGに特異的な受容体の網羅的な同定とその欠損マウスの解析、さらにはゲノムワイドな発現解析やナノ解析技術により、標的細胞への作用メカニズムも含めて詳細が明らかとなってきている。PG類の作用は膨大で、炎症・免疫・癌などの病態病理や、生殖、組織保護、血管などの生理機能の調節に重要な役割を演じている。アラキドン酸代謝系のもうひとつの大きい流れであるLT類は、LTB4による白血球遊走作用やCysLTs(LTC4/D4/E4)の平滑筋収縮・血管透過性亢進作用などが知られてきた。従来の薬理学的知見に加えて、生合成酵素(5-リポキシゲナーゼ、LTC4合成酵素など)や受容体(BLT1/2, CysLT1/2)の欠損マウスの解析から、炎症メディエーターとしてのLT類の地位は確実なものとなっているが、その作用メカニズムは当初言われていたほど単純ではない。例えばCysLT1とCysLT2がひとつの病態に対して相反する作用を示すことや、BLT1が好中球遊走よりもCD8+ T細胞や樹状細胞への作用を介して免疫応答をより複雑に制御することが明らかとなってきている。
 アラキドン酸に代表されるomega-6系列の高度不飽和脂肪酸(PUFA)は、炎症の進展との関連が主に語られてきた。生命活動の動的制御の原則として、一度起こった現象には適切なブレーキ役が必要である。一部のアラキドン酸代謝物には抗炎症作用を示すもの(リポキシン、15-deoxy-△12,14-PGJ2など)があるが、ごく最近これに加えて、omega-3系列のPUFAに由来する脂質代謝産物(リゾルビン、プロテクチンなど)が炎症収束の役割を担うことがわかってきた。omega-3系列のPUFAは魚肉や健康食品に多く含まれており、獣肉食(Western diet)よりも魚肉食(Japanese diet)の方が体に優しいと言われる所以について、ひとつの解答を提供している。

II. PAF(血小板活性化因子)とリゾリン脂質

 上述の脂肪酸由来の脂質メディエーターのほかに、グリセロリン脂質の骨格を有する脂質メディエーターの一群がある。PAFは特殊な構造を有するホスファチジルコリン(PC)であり、炎症・アレルギーに関わる脂質メディエーターである。1990年代にPAF受容体とPAF分解酵素が同定され、ごく最近、東大清水らの一派により、長い間正体不明であったPAF合成酵素(LPAFAT)が同定された。また同グループは同じ方策により肺サーファクタント(肺胞表面を保護するリン脂質)の生合成に関わると思われる類縁酵素も単離している。リゾリン脂質に脂肪酸アシル基を転移する酵素は他にも多数存在すると考えられ、生体膜を構成するグリセロリン脂質の多様性が酵素レベルで説明される時が到来しようとしている。
 グリセロリン脂質がPLA2またはPLA1で分解されると、脂肪酸に加えてリゾリン脂質が生じる。かつてはこの反応の副産物と見なされていたリゾリン脂質のうち、脂質メディエーターと考えられるものが多数登場してきた。中でもリゾホスファチジン酸(LPA)は最も注目を集めているリゾリン脂質メディエーターであり、5種類のGタンパク質共役型受容体(LPA1-LPA5)が同定されている。血漿中のLPAは、従来想定されていたPLA1/PLA2反応を介してではなく、主にオートタキシン(リゾホスホリパーゼD)がリゾPCのプールに作用することにより生じる。LPA受容体やオートタキシンの欠損マウスの表現型から、LPAは血管系や神経系の構築に関わっているものと考えられる。LPA以外にも、リゾホスファチジルセリンやリゾPCが脂質メディエーターとして作用する知見がある。

III. スフィンゴ脂質メディエーター

 脂質メディエーターとしてのスフィンゴシン1リン酸(S1P)の歴史は、かつてEdgファミリーと呼ばれたGタンパク質共役型受容体の同定に始まる(この受容体ファミリーにはS1P受容体5種と上述のLPA受容体のうち3種が含まれる)。S1Pはスフィンゴリゾリン脂質であり、グリセロリゾリン脂質であるLPAと多くの共通点がある。その後のS1Pの研究は、生合成系(スフィンゴシンキナーゼ)と分解系(S1Pリアーゼ、S1Pホスファターゼ)、受容体(S1P1-S1P5)、更にはGタンパク質を介したシグナル伝達経路について、大きな進展が見られている。S1Pの生体内機能として、胎生期の血管成熟、二次リンパ組織からのリンパ球の移出、腫瘍血管新生などが注目されている。我が国発の新規免疫抑制薬FTY120はS1P1に作用し、これを脱感作することにより、リンパ組織から抹消へのリンパ球の循環を抑制して薬効を発揮すると考えられている。スフィンゴ脂質の代謝産物にはS1P以外にもセラミドやセラミド1リン酸など、おそらく細胞内メッセンジャーとして生物活性を示すものがある。

IV. エンドカンナビノイド

 マリファナの主成分であるカンナビノイドは精神神経作用を発揮する。アナンダミドと2-アラキドノイルグリセロール(2-AG)は、カンナビノイド受容体(中枢のCB1、抹消のCB2)の内因性リガンド(エンドカンナビノイド)である。アナンダミド合成系の酵素としてN-アシルホスファチジルエタノールアミン-ホスホリパーゼDが、分解系の酵素として二種の脂肪酸アミド水解酵素(FAAH, NAAA)が同定されている。FAAA欠損マウスでは組織中のアナンダミドの濃度および活性が著しく増加するので、アナンダミドの薬理効果が2-AGよりも弱い理由のひとつとして、FAAHによる急速な分解が挙げられよう。最近、FAAHおよびCB1欠損マウスを用いた解析から、アナンダミドシグナルの微妙な変動が卵子の卵管内移動の調節に関わることが提唱されている。2-AGはシナプスの逆行性シグナルを担う物質であり、抹消では免疫細胞の遊走や活性化などを調節することが示唆されているが、その生合成と分解については、候補となっている酵素の欠損マウスの解析が待たれる。

V. 酸化リン脂質

 一般にPUFAを有するリン脂質は酸素ストレスに感受性が高く、酵素的あるいは非酵素的に酸化されて酸化リン脂質を生じる。酵素的な酸化は15-リポキシゲナーゼによる反応が知られている。酸化リン脂質は不安定であり、脱水、縮合、開烈反応などを経て、より安定かつ反応性に富むアルデヒドを生じる。酸化リン脂質はPUFAを持つ全てのリン脂質に生じ得るのでヘテロな分子種の集団といえるが、一部の酸化リン脂質分子には受容体を介して「脂質メディエーター」様の活性を示すものがある。しかしながら一般的には、過度の酸化リン脂質の蓄積は細胞に取って有害であり、またPUFAの酸化はラジカルの生成により連鎖反応的に進行するため、生体は酸化リン脂質による障害から身を守るためにこれを速やかに消去するシステムを備えている。この中には、酸化リン脂質から酸化された脂肪酸を切り離すII型PAFアセチルヒドラーゼや、酸化リン脂質を還元して無毒化するリン脂質ヒドロペルオキドグルタチオンペルオキシダーゼ(PHGPx)が含まれる。

おわりに

 脂質はタンパク質や遺伝子と比べると地味な印象がある。しかし、脂質の重要性と面白さは本記事で取り上げた脂質メディエーターだけに留まらない。脂質代謝の異常は多くの疾患に結びつき、また脂質分子の正確な輸送や構築がなければ生命の根幹たる細胞は成り立たない。本記事が脂質ワールドの理解をより深め、また多くの研究者がこの領域に興味を持たれ、この領域が発展していくことを切に願う。

参考図書

ダイナミックに新展開する脂質研究:清水孝雄、新井洋由編 実験医学増刊、Vol. 23, No.6 (2005) 羊土社
脂質生物学がわかる:清水孝雄編 わかる実験医学シリーズ (2004) 羊土社
プロスタグランジン研究の新展開:室田誠逸、山本尚三編 現代化学増刊、38 (2001) 東京化学同人

略歴

1986年 東京大学薬学部卒業
1991年 同大学院薬学研究科博士後期課程修了
1991-1993年 日本学術振興会奨励研究員
1993-1995年 米国ハーバード大学研究員
1995年 昭和大学薬学部講師
1997年 同助教授
2005年 東京都臨床医学総合研究所副参事研究員(細胞膜情報伝達部門プロジェクトリーダー)
2005-2008年 科学技術振興機構さきがけ「代謝と機能制御」領域研究員兼任
2011年 東京都医学総合研究所副参事研究員(脂質代謝プロジェクトリーダー)
2013年 同参事研究員(脂質代謝プロジェクトリーダー)
2017年- 東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センター健康環境医工学部門教授